

札幌芸術の森美術館「花と獣」展、終了致しました。
先日9月27日をもちまして、 札幌芸術の森美術館で開催されてました「花と獣」展、終了致しました。 観にいらして下さった方々、お世話になりました美術館のスタッフの方々、 本当にありがとうございました。 たくさんの方に観て頂けたこと、また作品を観てメッセージなども頂けたりなど、 とても嬉しい時間となりました。 始まってしまうと、3ヶ月間あっという間で。 札幌芸術の森開園40周年を記念した展示に参加させて頂けたこと、とても光栄に思います。 今回新作として展示した「世界を孕む-閾-」、ここから続くその先を、 これからまた制作していきたいと思っております。
10月1日


制作記(5)_ Field Notes from Within.
現在、札幌芸術の森美術館で開催中の「花と獣」展も残り会期少しとなりました。 是非、ご高覧頂けますと嬉しいです。 札幌芸術の森美術館 会期:2026/7/11(土)~9/27(日) 会場:札幌芸術の森美術館 札幌芸術の森野外美術館 佐藤忠良記念子どもアトリエ 有島武郎旧邸 開館:9:45~17:00(最終入館16:30) ______________________________ 制作記(5)_ Field Notes from Within. ー閾(二) なにもない空っぽではなく、 空いていることで、満たされているような。 私はどうやら、 意味を宿した在るから、 意味をも手放した或るというところへ やってきたようだ。 (『Field Notes from Within』より) ______________________________
9月21日


制作記(4)_ Field Notes from Within.
図録撮影の時のこと。とても広いスペースとなる場所で撮影を行った時。 広く暗い空間に、その作品だけが静かに佇んでいた。 展示作業を終えて、作品の向かいになる壁に背中をあてて、遠くからしばらく作品を見つめていました。 あの時間、あの空間、とてもよかったな。 ______________________________ 制作記(4)_ Field Notes from Within. ー閾(一) そこは不思議な光景だった。 境界が消えてゆく。 確かにそこにはあるのに。 だとするなら、なにが消えていってるのだろう。 境界が持つ、その〝意味〟が失われはじめるように感じた。 自ら望んでいたはずだった。 それなのに私は混乱していった。 それは、これまでの感覚さえまでもが 消えていったからだと思う。 すべてが虚構のように思えてきた。 この感覚のまま、世界と向き合っていくことになるのだろうか。 ここに留まり続けることは、危ないことなのかもしれない。 そう思いながら、立ち尽くしていた。 (『Field Notes from Within』より) ...
9月12日


制作記(3)_ A Record of Cogitations.
________________________________________ ー 五、角 「もしもの時は、重くなり過ぎたその角を、自ら切り落とすことができるようにと。」 角はいつの間にか、また大きく、より膨らみを増し、 気づけばどうしようもない重さとなっていた。 身体にのしかかるその重さで、もう足を出すこともできない。 待つことしか、もうなかった。 | あれほど頑なに握りしめていたものは、なんだったのだろうか。 角は切り落ちたはずなのに、 なにも失っていない感覚だけが残った。 | 私の中に、まだ種はあり、これから先もまた その姿を見せてくるだろう。 その度に、落ちて、また忘れて、気づいて。 そう、まだ、しばらくは。 けれど、この先のどこかで、 足元に落ちた角を、懐かしく見ている自分がいるのだろう。 これがあったからこそ、と。 土に還ってゆく姿を、微笑ましく見つめている自分がいるのだろう。 (『A Record of Cogitations.』より)
9月7日


制作記(2)_Field Notes from Within
制作記録を制作過程の写真と一緒に載せていこうと思ったのだけど、 写真を見返してみると、制作風景はほぼ撮ってなかったことに気づいた... いつももう少し残しておこうとか思うのだけど、制作に入るとつい忘れてしまう。 こうして、制作中の写真を見ると、 一瞬にして制作途中の作品の前にいる、あの場所へと入ってゆく。 あの時の和紙や墨の匂い、和紙の上を走らせる、墨だらけの手の感覚。 雪の季節だった。飛び散った墨や絵の具の付いたちょっと冷たい素足の感触。 この作品で、私の前に立ち上がってきた言葉があった。 “既憶”という言葉だった。 ______________________________ ー既憶(一) 移りゆく風景は、いつも私の足と心を呼び止める。 昔にも見たような景色を重ねている私がいる。 今が薄れてゆく。 その時、私は、今の景色を通り、過去の中へ入ってゆく。 パチン、と、誰かの指を鳴らすように。 その瞬間、今に戻ってくる。 そんな時、いつも思うことがある。 この今も、本当は、 未来の私の記憶の中なのではないだろうか、と。 記憶はどこにあるのだろう。
9月2日


制作記(1)_Field Notes from Within
現在、札幌芸術の森美術館で展示してる作品の制作時の様子など、これから 置いてた本の文と共に、ちょこちょこ更新していけたらと思います( ....できたら) 新作で展示してる「世界を孕む - 閾」の制作途中。 この「閾-いき-」と出てきたのは、作品制作のほぼ後半になってからだったと思います。 そしてこの「閾 - いき」は、その後、また違う形となっていきました。 なっていったというより、違う視点を教えてくれたといういか。 _________________________________________________________________________________________ 「 ー 向かい合う彼らは、まるで〝門〟のようにそこにいた。 ずっとここに居たんだろう。 私が彼らを形として産み出すその前から。 対が入り口とはなった。 けれど、〝対〟として彼らをみていることは、 私の中で、まだ静かになにかを隔てていた。 対となった彼らを前にして感じた、〝ただ在る〟という感覚もまた、 まだその奥で、なにかが静かに待っているような気がした。..
8月29日


20260811
先日、8月11日は山の日ということで。 写真は、先日、お迎え頂けた山の作品。 (書こうと思ってたら気づいたら13日になってしまってた。) 昨日12日、とても久しぶりに、星空鑑賞しに。 なんとなく、今日こそは絶対星空見に行きたい...!!!と思って 0時頃に、見上げることに。 ちょっと見てるだけでも、たくさん流れ星が見えて、 「なんか今日は流星群の日みたく見えるぞ!!??」って思ってたら 流星群の日でした。知らずに見てた。 ペルセウス座流星群だったそうです。 それであんなに見えてたんだな。 大きな流れ星、たくさん流れていきました。
8月13日