12月2日より始まった個展も明日で最終日となりました。明日は17時終了となります。明日最終日前にもう一度今回の個展のイメージ映像をアップさせていただきました。

また個展の会場に貼った、今回の個展に寄せて綴った文もここに載せさせて頂きました。明日最終日は11時-17時在廊予定です。

是非ご来場頂けますと嬉しいです。


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鈴木果澄個展

KASUMI SUZUKI Exhibition 2021

おおかみたちの遊ぶ庭

2021年12月2日−12月27日 / 最終日は17時まで

11:00-19:00(土日祝は休館)

グランビスタギャラリー サッポロ

GRANVISTA GALLERY

札幌市中央区北1条西4丁目札幌グランドホテル1階ロビー内

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ー 気が付けば、以前に個展をしてから3年近くの月日が過ぎていた。

「揺蕩いの時間」。描いてはいたけど、描けていない、そんな感覚だった。

精神と軀が分離して、どちらかだけが、小さな穴だけがある四角い狭い箱の中で

うずくまって、私の片方はそこから外の様子を怯えて伺っている様な。


描くモチーフは動物、と思われることがよくある。

でも自分でも不思議なのだけど、“動物を描いている”という感覚は私の中にはあまりない。(なので、おおかみ、といっても、狼でもあり、狼かもしれないけど、狼だけではない。)

物質的、精神的、肉体を有するもの、もたないもの。

小さなところに宿っているもの、おおきなところに宿るそのものだったり。

そして私は紙の中に出てきたそのもの達を、“彼ら”と呼んでいる。


多分、彼らは私にとって、とても近くにいて、とても遠くにもいて

崇拝するような存在でもあって、畏怖するような存在でもあって。

大切な大切な友達でもあって、そして、私の一部でもあって。


ここはおおかみたちの遊ぶ庭。

彼らが宿る庭がある。

庭は、彼らを宿してる。


〝庭〟は私にとって、とても不思議な空間だ。

たとえば、目を閉じて想像してみる。裏口から、小さな戸を潜り抜け庭に出る。

見えない境目があるのに、閉ざされていない。

でもちゃんと境界線はあって護られてる。


これは実在する形ある庭のはなしだけではなく、私の中にある庭のはなしでもある。

きっと誰しもの中にある、その人だけの庭。

閉ざされているようで、閉ざされていない、でもこの庭は、私だけの空間だ。

私にとって〝精神の浮遊場〟だ。

この精神の浮遊場で、この庭で、私は彼らと自由に在ることができるんだ、本当は。


この庭に、鍵のかかった扉は必要はない。線は張られている。

線はあるけど、ちゃんと外へ開かれている。

だから、今はそれだけで十分だ、きっと。

余計なものは、持ち込まなくていい。

持ってしまったものを、手放すことはもっと大変だと感じさせられた。

手放したいのに、なかなか手放せない。たったそれだけのことが、なんて大変なんだろう、と。


私が小さな箱に閉じこもってしまったから、

彼らは自由になれなかったのかもしれない。


でもわかるのは、私から離れずに、傍にいてくれていた。


彼らを解き放ってあげたい。

私と彼らの自由な広い庭に。


ー そう、ラテン語で、庭は〝hortus〟と言うらしい。「h」をとった〝ortus〟は、

夜明け、という意味を持つのだとか。hortus-オルトュス、美しい響きだなと思った。