9月2日
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制作記録を制作過程の写真と一緒に載せていこうと思ったのだけど、
写真を見返してみると、制作風景はほぼ撮ってなかったことに気づいた...
いつももう少し残しておこうとか思うのだけど、制作に入るとつい忘れてしまう。
こうして、制作中の写真を見ると、
一瞬にして制作途中の作品の前にいる、あの場所へと入ってゆく。
あの時の和紙や墨の匂い、和紙の上を走らせる、墨だらけの手の感覚。
雪の季節だった。飛び散った墨や絵の具の付いたちょっと冷たい素足の感触。
この作品で、私の前に立ち上がってきた言葉があった。
“既憶”という言葉だった。
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ー既憶(一)
移りゆく風景は、いつも私の足と心を呼び止める。
昔にも見たような景色を重ねている私がいる。
今が薄れてゆく。
その時、私は、今の景色を通り、過去の中へ入ってゆく。
パチン、と、誰かの指を鳴らすように。
その瞬間、今に戻ってくる。
そんな時、いつも思うことがある。
この今も、本当は、
未来の私の記憶の中なのではないだろうか、と。
記憶はどこにあるのだろう。
私が思い出しているのではなく、
すべての時間を含むなにかに思い出されているのだとしたら。
すべての時は、すでに憶えられているのかもしれない。
それは、視られているということなのかもしれなかった。
その感覚を、私は知っていた。
私という存在が、すでに憶われている。
それは途切れることのない眼差しのなかにあった。
私はずっと、憶われていたんだ。
(『Field Notes from Within』より)
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